北九州通信 2006年7月

〔北九州通信 7月〕                   

今回の通信は、私自身の社会人人生(技術者人生)を振り返って見たくなりましたのでこれから数回にわたって大学を卒業してからの流れをたどって見たいと思います。
大学を卒業して、NECに入社しましたがその時にはまだLSIと言う言葉が使われていなくて、「集積回路事業部」に配属されました。
半導体と言うのはまだまだ幼稚園レベルの産業でしたから入社2年目にいきなり、NEC半導体のドル箱製品の16KDRAMを任されました。そして、半年くらいたってからIBMとの間で16KDRAMの大商談が始まりました。
NECの16KDRAMは当時、性能が世界一だったことがきっかけです。「なぜ世界一だったか」というとたぶん回路設計では当時日本でかなう人がいない人が丹精こめて設計したものであったからです。
他の会社の製品は追随ができませんでした。 しかし当時のIBMとNECでは大人と子供くらいの差があって、交渉は困難を極めました。
入社2年目の私がたどたどしい英語でIBMのエキスパートに説明をしなければいけませんし不良が出るとすぐに工場に行って対策をしなければいけません。当時のIBMを相手にするには、彼らがびっくりするようなことをやって見せなければ彼らは納得しません。したがって不良が出た時「その不良箇所を見る」と言うことをやりました。
これは世界ではじめてだったようでIBMの人が「なぜ学会で発表しないのか?」と言ったほどです。彼らはそんなことができると思っていなった訳です。テスター(半導体を測定するコンピュータ)で不良箇所を追い詰めて場所を特定し、その場所を丹念に顕微鏡で観察するわけです。
半導体は色々な材料をシリコンの基板の上に積んでいって加工して形成するわけですから不良の場所がわかっても本当に不良になっている箇所を見るには上から不要な層をはがしていかなければいけません。したがってその不要な層をはがすための溶液を作らなければいけないわけです。
それで全く手作りでひとつひとつの層を最適な条件ではがすための溶液を作りました。私は電子工学が専攻ですがこれはまさに化学工学の仕事です。したがって文献と先輩の助言を頼りに何とか混合溶液を開発したわけです。(私は研究所で仕事をしているわけではありませんから、日本の会社ではビジネスに関係することは“社外秘”ということで発表できないわけです。したがって今でも日本では本当によい技術を持っている人は事業ラインの人だと思います。)
IBMとの商談は2年間くらいで終わりましたが、ここでいきなり外国の大企業との交渉と化学の勉強をさせられました。学校でやっているのとは違ってまさに会社の命運を分けるような内容ですからとにかく必死です。
したがってやったことはすべて克明に頭に刻み込まれるわけです。入社2年目でも技術面で全体を総括するのは自分しかいませんからやらないわけにはいきません。そのような時には人間はすごい力が出るものだということを最初に実感した経験でした。                                             2006年7月2日(日)                               吉村克信

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