瀬戸島氏との出会い

 

人との出会いは摩訶不思議なものです。ゴルフから離れて久しかった昨年10月末、2004日本シニアオープンゴルフ選手権競技が茨城ゴルフ倶楽部東コースで開催(研修生時代の2年間をここで過ごした高橋勝成選手がプレーオフを制し涙の優勝)されメディカルスタッフとしてボランティアで参加させて戴きました。そのとき初めて白木助教授(筑波大学スポーツ医学)から瀬戸島四郎さんを紹介されました。瀬戸島さんは以前から「瀬戸嶋」という名前の整形外科医が近くの筑波学園病院で勤務していることをご存知だったようで、名前が珍しく同姓なので一度会いたいと思って頂いていたようです。昭和10年生まれの瀬戸島さんは1995959歳のときに左変形性股関節症に対し人工股関節全置換術を受けられ、その後800ラウンド以上されている茨城ゴルフ倶楽部の前支配人で現顧問です。今年11月に行われた第16回日本臨床スポーツ医学会で宮川助教授(筑波大学大学院スポーツ医学)が報告されました(演題名:人工股関節全置換術後8年間でゴルフを600ラウンド行った1例)。僕は昭和31年生まれですが、昭和32年瀬戸島さんが22歳の時北九州の若松GCに仕事で行かれた時、小倉の街中で「瀬戸嶋商事株式会社」と書かれた“かばの幌”をかぶった三輪車(当時のダイハツ・ミゼット)を見かけたことをはっきりと覚えておられました。僕にとって“かばの幌”の三輪車は写真の中での記憶でしかありませんが、もしかしたら僕が5歳の時に亡くなった父が運転していたのかも知れないと思うと感慨深いものがあります。小学校のとき母が「瀬戸嶋商事株式会社」と書かれた車で父兄参観に来るのが恥ずかしく嫌だった記憶が残っていますが、約50年を経て「瀬戸嶋商事株式会社」と書かれた“かばの幌”の三輪車が、北九州から遠く離れた茨城で瀬戸島さんと僕を引き合わせてくれたことに想いをはせると感慨深いものがあります。親戚以外で“せとじま“姓の方にお会いするのは初めてで、戦前は「瀬戸島」ではなく「瀬戸嶋」だったことをお聞きし、さらに深いご縁を感じております。祖先を辿ればルーツがつながるかも知れません。

 

息子が高校受験モードに入ったため、本年夏頃から週末のサッカー帯同がなくなり休日の過ごし方を探していた頃、10月中旬小倉の“稚加栄”で開かれた小倉高校27期卒業30周年記念懇親会の席上で、御病気で目を悪くされている松井先生が「一生続けられる趣味を持ちなさい」と言われたお言葉、そして、来春大正13年生まれの義父と一緒にラウンドしたいという想いがつのり、10月末からゴルフを再開しました。家内は「こんな時期に・・・」といい顔をしてくれませんが・・・。ゴルフを再開する時は、是非、茨城ゴルフ倶楽部(平成元年から3年にかけての九州労災病院時代、門司ゴルフ倶楽部でよくラウンドしましたが、ここ茨城ゴルフ倶楽部は門司ゴルフ倶楽部と雰囲気が似た素晴らしいコースです。Tsukuba Expressの開通で、都内からTxを利用して来られるゴルファーも増えたそうです)でラウンドしたいと常々思っておりましたが先日実現し、瀬戸島さんとも約1年ぶりにお会いしThe Open観戦記やSt. Andrewsなどの素晴らしいお話を聴くことが出来ました。1228日には瀬戸島さんのプライベート・コンペにも参加させて戴き、瀬戸島さん・主治医の福林教授(現早大)御夫妻と同じパーティにしていただき、ワンポイントレッスンとHDCPにも恵まれネット74.4で優勝させて戴くことが出来ました。記念に頂いた“The Openのネクタイ”は一生大切にしたいと思っております

 

結婚後、義父から黒トップのアイアンセットと本間のパーシモンD・3W・4W・5Wを譲ってもらいゴルフを始め、1996年秋、La Jolla, CATorrey Pines GCでコンペに参加(2008年全米オープン開催予定、ショット・ガン方式ベストボールチョイスのコンペで、我々のチームは1アンダーでしたが、優勝は12アンダーの米チームでした)した頃を最後に練習場にも行かず年1・2回程度のお付き合いラウンドだけでしたが、今回の再会に際し瀬戸島さんとめぐり合わせてくれたゴルフに感謝するとともに、今後生涯スポーツとしてゴルフを考えようと思っています。瀬戸島さんの目標は1000ラウンドですが、再来年秋には達成されるそうです。僕も目標を持ってゴルフを続けていきたいと思います。

 

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