拝啓、春暖の候、皆様方におかれましてはますますご清祥のこととお喜び申し上げます。

さて、私がスーダンで活動を始めて1年になろうとしています。

紆余曲折ありましたが、現在ロシナンテスは内閣府にNPO(非特定営利団体)の法人格取得のための申請を提出しております。最長でも5月半ばには認可されるものと見込まれています。全くのゼロからのスタートでしたが、なんとか皆様方の支えにより、ここまで辿り着けたように思えます。今一度感謝の意を表したいと存じ上げます。

 今までの活動実績を添付いたします。今後も精進していく所存ですので、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。

敬具

平成18年3月吉日

川原尚行

                                       活動実績


スーダンは9つの国に囲まれ、日本の約7倍の面積があるアフリカ大陸最大の国です。ビクトリア湖を源とする白ナイル、エチオピアのタナ湖を源とする青ナイルが国の中心を流れ、首都ハルツームで合流します。人口は3500万人です。右図の赤点は、我々が巡回した地域で、総走行距離は、約4万キロになりました。

                                      

1.診療

(1)イブン・シーナ病院で外科チームの一員として外科診療

(2)難民キャンプでの診療 (ソバアラディキャンプ、ハジューシブキャンプ)

(3)地方病院(ガダーレフ州ドカ病院など)

2.日本・スーダン間の人事交流

(1)スーダン人医師の日本派遣(九州大学、中津市民病院で講演、広島、京都、東京)

(2)日本人医師のスーダン招聘(イブン・シーナ病院での手術、講演会)

(3)九大医学生2名、群馬大学医学生3名のスーダンでの研修

(4)日本人園芸家招聘

3.物資搬送

(1)中古医療機器の国内集積、スーダンへの搬送(06年3月3日日本出航、4月13日スーダン到着予定)

(2)横浜市より災害備蓄用医薬品(約800万円相当、2トン)のスーダンへの搬送(2品目は上記船便で搬送予定、それ以外は航空便で既にスーダン着)

この事業は、日本外交協会との共同事業

(3)中古車、救急車搬送

中古車は、私の母校の小倉高校生に校名、ラグビー部全国大会への意気込み入り。

救急車は、在京スーダン大使館との共同事業で八王子市から供給。

4.母子手帳のアラビア語への翻訳作業

5.イブン・シーナ病院第2次フォローアップ計画の調整事業(裏方に徹しています)

(外務省とサイン済み、総額約5,000万円)

6.ホームページ開設 http://www.rocinantes.org(NPO法人格取得後、改訂版計画中)

7.講演会

(1,2,3月)小倉高校、九大医学部第2外科刀圭会、NTT関東病院、中津市民病院

(10,11月)槻田中学校1年生、九大医学部第2外科開講記念会、九州大学医学部5年生、同歯学部4年生、同保健学科、群馬大学医学部、岡山県医師会、福岡市民病院、中津市民病院、高槻市民センター、「女性が変れば世界が変る」設立記念会、高久文麿先生を囲む会

8.投稿

(1)国際開発ジャーナル

(2)財団法人国際医療技術交流財団

(3)臨床外科(12回連載予定で2回分投稿済み)

(4)学士鍋(九州大学医学部同窓会誌)

(5)小倉高校ラグビー部OB会誌

9.広報

9−1新聞

(1)3月2日    西日本新聞「小倉高OBで元スーダン大使館医務官、国際協力語る」

(2)4月17日 西日本新聞「元外務医務間スーダンへ、病に苦しむ命救いたい」

(3)5月21日 毎日新聞「今こそアフリカから学びたい」

(4)11月3日 神奈川新聞「横浜市の災害備蓄用医薬品、NGOと協力し活用」

(5)11月3日 日経「災害用備蓄医薬品、途上国に無償で提供」

(6)11月3日 読売「災害時用備蓄の医薬品途上国へ」

(7)11月5日 朝日「更新対象の医薬品、スーダンで活用へ」

(8)11月7日 東京「不要な医薬品海外へ、NGOなどに提供」

(9)11月9日 朝日「スーダンで医療NGO、北九州出身川原さん設立」

(10)11月16日 上毛新聞「スーダンでの医療活動語る、前橋で川原さん」

(11)12月10日 朝日「医を診る、前原善彦−スーダンでの奮闘応援」

(12)12月21日 Asahi [Doctor battles for better care in Sudan]

9−2雑誌

(1)外交協会報 6月20日号 「がんばれ川原医師〜活躍する中古救急車」

9−3テレビ

(1)11月4日 NHK北九州 「ニュースシャトル」

(2)11月8日 日本テレビ 「今日の出来事」

(了)

 

霜田治喜報告書

 

支援者、関係者の皆様方におかれましては、いかがお過ごしでしょうか。日本は春の訪れとともに若葉の眩しい季節といったところでしょうか。ここスーダンは短い冬も終わりいきなり夏になったようで、日中の気温も40度を超えるようになってきました。私が初めてスーダンに来たのは去年の4月。スーダンは4,5,6月が最も暑く、50度を超えることもあり、いつもこんなに暑いのかと、来た当初は閉口したものですが、1,2月は大変過ごしやすくて少しホッとしたところです。

スーダンに来てもうすぐ1年になりますが、季節の移り変わりも一通り経験し、いろいろな地方を回り一般の家庭にお邪魔するなどして、スーダンやスーダン人に対する理解も深まってきたと思っています。ただ、こちらには男の人は絶対入る事のできない女だけの奥深い社会があったりする様で、まだまだ知らない事も多いようですが。

また、この1年でスーダンも大きく変わってきています。特にインフラの整備が急速に進んでいて、道がどんどん整備され、橋が架けられ、来た当初はよくあった停電も最近はありません。1月に行われたAU(アフリカユニオン)サミットにあわせたのか、12月頃から町の要所に花壇が作られ、以前は殺風景だったハルツームの街にも花が見られる様になりました。また、以前では考えられなかったようなお洒落な店も街中に増えています。これらは皆、内戦の終了によって今まで戦争に使われていたお金をインフラ整備などに回せる様になったからだと思います。ただ、石油で得た利益はかなりあるはずで、それがきちんと還元されているとはとても思えないと、誰もが口にします。結局、この国は貧富の差が激しく、富は一部の金持ちにしか集まらず、彼らはスーダンには住まずにロンドンなどに豪邸を持っているというのが現状のようです。

さて、私たちのスーダンでの実際の活動については、同封の活動実績表やホームページを見て頂ければ分かると思うので、スーダンでの日常生活について書きたいと思います。

まず、住んでいる場所ですが、市内の中心ハルツームU、という所です。日本でいえば、新宿副都心の外れといった感じでしょうか。とにかく何処に行くにも便利で、治安もいい所です。二階建ての家の二階部分を借りています。大家が住む1階部分はとても広いのですが、2階はリビングキッチンと寝室2部屋にバスルームだけです。その代わりバルコニーがとても広くバレーボールコートを1つ作ってもまだ余裕があるといった具合です。ここは気晴らしの空間になったり、暑い夜はここで寝たり、便利な空間です。この家に、ロシナンテスの川原、荒井、私とユニセフ職員でここの借主の竹友さん4人で住んでいます。ロシナンテスの3人は竹友さんが借りているこの家に居候している形になっています。おまけに事務所兼用です。ここの家賃は月$650、これはかなり安いほうです。一般に中心部で綺麗なアパートを借りると、$1500はします。昔はこんなに高くなかったそうですが、金持ちの国連職員がどんどん住むようになり家賃の高騰が激しいようです。

食事は外食はほとんど無く、自炊しています。御飯にみそ汁が基本です。週に12回はカレー、1回は鍋、時々シチューなど特に客が来るときに大量に作ります。でも、みんなよく食べるので、すぐになくなってしまいます。日本食は日本から人が来る毎に持って来てもらうので、味噌、カレールーを始め、ふりかけ、梅干、蕎麦、そうめんなど不自由する事はありません。野菜は今の季節は種類が豊富なのですが、そろそろキャベツや大根がなくなってきて、今後暑くなるに従って種類が減り品質も落ちてきます。お米はエジプト米が手に入り、とても美味しいです。料理は、決まった順番などないのですが、適当に交代でやっています。買い物は週に12回スークマルカジという大きな市場まで行き、野菜を大量に買い込みます。それに、チキンを1、2羽買うこともあります。値段は、日本に比べてあまり変わらないようです。季節に拠っても変わりますが、玉葱1キロ50100円、ジャガイモ150250円といった感じです。チキンは1キロ500円、一時期値上がりしていたのが、アフリカで流行り始めた鳥インフルエンザの影響か先日400円になっていました。ただし、スーダンではまだ鳥インフルエンザが発生したという話は聞いていません。もっとも、狂牛病をはじめきちん検査はされて無いようですが。

スーダンでの生活で困るのは、暑さに加えて砂です。特に暑くなってくると砂嵐の回数も増えるようです。強烈な砂嵐の時は、2300メートル先が見えなくなることもあります。 そうなると外で目をあけているのも困難になります。窓を開けたまま外出したときに砂嵐に見舞われると、帰ったときの部屋の様子を考えただけでぞっとします。砂嵐でない時も、細かい砂が絶えず部屋の中に入ってきて、2日も掃除をしないと大変な状況になります。パソコンなどは砂にやられないよう使わないときは布を掛ける様注意しています。

スーダンに来た人に時々聞かれる質問で、スーダン人の娯楽は何ですかというものがあります。これには、返事に困ってしまいます。日本人的感覚からいうと、娯楽はないというのが正しいかもしれません。娯楽施設といえば、1つあるボーリング場ぐらいです。映画館はインド、アラブ映画を上映する所がほとんどで、2流の洋画をやる所が2館、ヒット作は来ないようです。テレビは2,3ある国内放送はとても面白いとは言えず、衛星放送はあまり普及していませんし、サッカーの試合ぐらいしか見ていないようです。元々、偶像崇拝を禁じるイスラム教の影響で芸術に対する理解が低く、学校では図工や音楽などの科目が無く、子供に絵を描かせても全く描けないようです。楽器店も探しましたが無いようで、エジプトまで買いに行くそうです。お酒も禁止されているので、飲み屋などもちろんありません。賭け事もイスラム教で禁じられています。では、スーダン人にとっての娯楽とは何なのか、それは夜涼しくなって親戚や知り合いの家に集まり団欒するといったことのようです。なんとも素朴ではありますが、それが人間本来の姿なのかもしれません。私たちも時々このような集まりに参加することがあります。そんな時は皆さんとても温かく迎えてくれます。スーダンは人と人とのつながりをとても大事にする社会です。私たちもこのような機会を通じてスーダンの社会に入っていければと考えています。

 

NGOロシナンテス アラビア語通訳 荒井繁

自己紹介

 

学生の時、留学生寮に住んでいた。20カ国近くから集まった留学生80人と日本人チューター4人の寮。その中にスーダンから来た学生がいた。褐色の肌の無口な男。それが僕とスーダンとの初めての出会いだった。既にその頃からイスラームとアフリカに強い興味を持っていたのでスーダンに関する少しの知識はあった。しかし、スーダンでは人々がどのような生活をしているのか全く想像がつかなかった。いつかこの友達の国に行こう、と思った。

 

いろんな人と会いたい、若いうちに自分の足で世界を歩きたい、と肉体労働のアルバイトで貯金をしては海外旅行を繰り返していた学生時代。様々な土地を通過した。たとえ表面上に過ぎなくても、離れた国に住む人と直に言葉を交わすことは、それまで茨城の片田舎しか知らなかった僕には実に刺激的だった。旅の行く先々で、おそらくこの先二度と会う事のない人たちが、通りすがりの僕に優しさをくれた。彼らの生き方にはどんな本にも読んだことのない智慧を見ることができた。僕はそれらを日本に持ち帰っては将来の進路を考えていた。理工学部の卒業論文のために試験管を振りながら、僕は何よりも人間が好きなのだと気づいた。外に出たいと思った。できることならば日本と世界に橋を架けたい。やりたいことをやったあげくに何があるかはわからないが、前々から気になっているアラビア語をやってみようと決めた。そして僕はシリアに渡り、アラビア語を勉強した。

 

さて、他の言語と同様、アラビア語にも文語と口語がある。文語を用いての会話も可能であり、また正式な場ではそれが求められるが、それは日本語で例えるなら古事記の文体で喋るようなものだ。要するに硬くて味に欠ける。文語は1400年前に編纂されたイスラームの聖典であるクルアーン(コーラン)の中で完成しており、新しい表現も文法も生まれない。しかし人は生き、口語は変わり続ける。現代の人達と同じ目線で通じ合うためには、そこの習慣を知り、彼らが今使っている言葉で話すのが一番だ。

 

僕はアラビア語のスーダン方言を習得するためにスーダンに来た。こちらで大学に入る予定だった。その大学には日本から何度も電話をかけ、FAXを送りもした。そうやって手続きを進めていた。しかし、実際に大学に行くと、そんなのは知らない、との事。スーダンの悪い点として、意固地な官僚主義があり、これにつかまってしまったらどう話し合っても埒が明かない。連日事務局に通ったが、ろくな説明もなく「ダメだと言ったらダメだ」と追い返された。そのような事情があり、僕は大学を見切って、そんな事よりもやりがいのありそうなロシナンテスに加わらせていただいた。果たして、ロシナンテスで活動する日々には大学以上の学びがあった。ああ、人生の面白さよ。例えを書くならば、とある女性にそっけなく振られて肩を落としたが、ふと顔を上げてみれば、そこにはもっともっと素敵な女性が待っていてくれたのだ。

 

今日も僕は鋭い陽に焼かれながら方言を学び、バケツに貯めた茶色い水で一日の汗を洗い流した。月9のトレンディードラマで描かれるような青春ではない。しかしここには土の匂いのする充実感がある。僕がスーダンに着いたのは昨年の夏。まだ短い時間しか過ごしていないが、それでももう僕にとってこの国は、遠くのどこかの国、誰かが住む国、ではなく「あの人たちが生活しているスーダン」になった。友達も増えたし、皆の健康も気になる。どうやら長い時間この国に関わる事になりそうだ。

(了)

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